その日の私はひどく疲れていた。その兆候は少し前からあった。夜寝付けない。朝もうまく起きれない。食欲は薄く、生理も不安定だった。この表現は正確ではないのかも知れない。本当はもっと前から、兆候はあったのかも知れない。
会社の昼休み、私はどうしても食事をとる気になれなかった。多分、何を食べても味のないゴムをかじるような気分にしかなれない気がした。そんな気分の食事を取る必要性なんてあるだろうか?私にはその理由が思い浮かばない。
休憩を取らないという選択肢はなかった。わざわざ好き好んで仕事場に籠もるほど、私はワーカホリックではない。ただ1時間ほど会社の周りを散策しよう。思い浮かんだ選択肢はそれだった。
そこは会社から5分も離れていない場所だった。小さなフットマッサージ屋。40分コースがそこまで高い値段でもなく、入ってみてもいいかもしれないと感じた。私は生まれてから一度もマッサージを受けたことがない。その事で若干躊躇したものの、それも経験の一つだと割り切ることにした。
店の中には五十代前半ぐらいの男が一人、椅子に座り読売新聞を広げたままで私にそう言った。小さな店だ。多分従業員は男だけなのだろう。待合い用のスペースがわずかと、背もたれが深く倒れた椅子が一脚。この男は食事はどうしているのだろう?そんな疑問が頭に浮かぶ。
男は新聞を折り畳みながら、無愛想に言う。まぁいいさ。別に丁寧な応対を望んでいるわけではない。私はただ疲れているだけなのだ。
私は椅子にもたれ、足を投げるように突き出す。男は湯桶で私の足を丁寧に洗う。愛想は悪くても仕事は丁寧なタイプなのだろう。嫌いなタイプではない。
足についた水気をふき取った後、オイルクリームを塗り込むようにして私の足を男は揉む。指先が奏でる強弱のリズムは何かの譜面を思い浮かべる。何だったっけ、この曲は?
男のつぶやきに私は問い直す。
私は頷く。
男は誰にというそぶりもなしにつぶやく。私は目を閉じる。男の指先が私を丁寧に解ぎほぐしている事がわかる。繊維の一本一本がばらけていくように、体の奥底にある何かに近づいていく。それがずっと昔に私の中に引っかかったままのものである事を、私は直感的に感じる。やがてセットされていたアラーム音が小さくなった。
男がいう。
私はそう答える。
靴下とシューズを履き、私は立ち上がる。驚くほど足が軽くなったことに気づく。これほどの効果があるのなら、もっと早く来ればよかったのかもしれない。自重した笑みを浮かべながらそう考える。
代金を受け取りながら、男はそう言った。その日から私はよく眠れ、目覚めもよくなった。しばらくの間は。
それから私は疲労が溜まったのが明らかに分かるようになると、いろんなマッサージに通うようになった。血の流れが悪くなるのは、重力があるから仕方がない。男はそう言った。だから、それは仕方がない事なのだろう。多分。でも思う。それは何が引き起こす重力なんだろうか?
あの最初の日のような劇的な効果が、私に現れることはなかった。店が悪いのかとも思い、男の店に再び行った事もある。でも、他の店と同じだった。幾分かは軽くなる。ただ、それだけだ。
私は時々考える。ある種の奇跡というものは、様々な偶然が重なりあった一瞬にしか生まれないものなのだと。月と太陽が重なりあう皆既日食のように、その時を逃せば再び巡り会うには長い年月がかかるのだ。あるいは一生私の頭上で起きることはないのかもしれない。
男の言葉を思い出すとき、私は箱の中にいる自分を同時に思い浮かべる。あの哀れなシュレディンガーの猫のように、箱の中には今と変わらぬ私と、「何か」から完全に解きほぐされた私が重なりあっている。箱の中には答えのないパラドックスが詰め込まれている。
私はあの日、箱の蓋を開ける選択肢があったのだ。しかし、それはもう失われてしまった。空にはいつもと変わらぬ太陽が輝いている。私は二度と開くことのない箱を抱えたまま、空を見上げている。