Deep Fire ディープ・ファイア

- Flickering flames in deep places -
 

いったい、どのような道筋を辿ってそんな話になったのかはよくわからない。ちょっとした残業上がりの週末に、同僚の女の子と一杯飲みに行こうという話になって近くのバーに行った。最初は仕事の愚痴や休日の過ごし方みたいな当たり障りのない会話をしていたはずだ。多分、6杯目ぐらいのグレンフィデックが作り出した記憶の薄靄の中で、彼女は語り始めていた。

「私の生まれたところはね、焼き畑農業が行われてたの」
「焼き畑ってあの自分で火をつけるやつ?」
「そう。見たことはある?」
「いや、まったく」

農家育ちでもなければ、そんなもの見る機会はない。

「子供は危ないからって、あんまり見せてはもらえなかったけどね。ほんと、あっという間に火が広がって、色んなものを一気に焼き尽くすの。雑草とか害虫の卵とか全部。それで一面の緑の中に、ぽっかりと黒い空白が出来ちゃうわけ。変な感覚だなって思うけど、とても綺麗だった。ねぇ、あなたはどう思う。焼き畑について」

彼女は何杯目かのテキーラサンセットを口にしながら問いかける。

「おいおい、僕は焼き畑農業に関してなんて、全く無知の素人だぜ」
「わかってるわよ。だから、そういう人が持つイメージみたいな事を聞きたいの」

僕はグレンフィデックを少量ばかり口の中で転がして言う。

「なんていうか、森林伐採とか温暖化とか言われてる今時には、あんまり合ってないような気はするけど」

彼女は笑う。

「同じような事言うのよね」
「誰と?」
「家に押し掛けてきた環境保護団体の人達」
「そんな事があったの?」
「そうよ。ああいう人達の全部がそうとは言わないけどね、とにかく無知で思い込みだけで行動する人ばっかりなわけよ。環境問題が出てきたばっかの頃にいたでしょう、森林伐採を少しでも食い止めるために私は割り箸は使いませんって自分の箸を持ち歩いてる人」
「いたような気はするね」
「ちょっと考えてみればわかる事じゃない。どこの馬鹿が定食屋で使う割り箸のために木を切るわけ?あんなの廃材をプレスしてるだけでしょ。それこそ、ちゃんとした箸を作るときにでも出てくる廃材を」
「でもまぁ、ゴミを減らす役には立ってたんじゃないかな。微量かもしれないけど」
「それは結果論じゃないかしら。まぁどっちにしたところで森林伐採とは無関係だし、持ち歩くなら割り箸をなんども使うべきよ。主張からすれば」

僕はポケットからラッキーストライクを取り出し火をつける。そう言えば煙草の乾燥にも随分と資源を使うと聞いたことがある。ご苦労な事だ。環境保護団体は一本の煙草も吸えない。

「それで、焼き畑農業と割り箸はどう繋がるんだろう?」
「直接の繋がりはないわよ、勿論。ただね、根っこの部分は同じ。割り箸は木を使ってる、環境に悪いはずだ。焼き畑は森を焼く、環境に悪いはずだ。みたいにね」
「って事は焼き畑はそこまで環境に悪くないわけだ。専門家的には」

彼女はまた笑う。

「専門家ってわけじゃないけどね。例えば焼き畑を行うところも適当に決めてるわけじゃないのよ。この区域は何年やってないから今年燃やしますってね」
「そうなの?」
「そうよ。焼き畑ってのは簡単に言えば土地に気合いを入れるようなものだら、土地のほうにもそれなりの力がない状態だと意味がないわけ。それこそ病人に劇薬を飲ませるようなもので土地のほうが負けちゃうの。だから事前に調査用の作物を植えて、きちんと土地の活力を見極めるわけ」
「へぇ」
「地滑り云々って事を言う人もいるけど、焼き畑で燃えちゃうのは地表だけで地面の中はありとあらゆる植物の根っこが残ってるの。一見禿げ山みたいでも、逆に除草剤とかで余計な植物の根っこまで腐らせた土地よりタフだったりするわけ」

そこまで話すと彼女は思い出したように吹き出した。

「どしたの?」
「それがね、家のお父さんが面白くてね。今私が言ったみたいな事を逐一押しかけた連中に言うわけ。あれは違う、これはそうじゃない、お前等は揃いも揃って馬鹿か。って」
「なるほど、そりゃ確かに面白い」
「それだけじゃないの。最後にはそんなに大切だったらお前等が森を守ればいい。って、家も山も畑も全部売りつけちゃったわけ、その人たちに」

僕は思わず煙草にむせそうになる。

「それはいくらなんでも冗談だろ」
「それが本当なの。家のお父さんが乗せるのがうまいのか、たまたま短気な金持ちが中にいたのかは知らないけど、綺麗さっぱり売り払って一家でこっちの方に出てきたわけ。相場より高く売れたって笑ってたわよ、お父さん」

冗談みたいな話もあるもんだと、僕はため息をつく。

「そんなこんなで今じゃ焼き畑になんて一切関わってないけどね、あの景色は今でも好きよ。普通に森とか見るだけだと何も思わないけど、焼け焦げた後がまだ残る地面からほんの少しだけ新しい緑が顔を出して朝露が光ってたりする景色」
「引っ越してから故郷に戻ったり焼き畑を見たりした事は?」
「ないわよ。どうして」
「いや、よく覚えてるなと思ってさ。押し掛けてきた連中とかの話はともかく、景色とかさ」

彼女は少し考え込む。

「言われてみればそうね。別に日長一日眺めてたり、何か凄い影響を受けたってわけでもないのにね。でも、そういうのってない?なんでもないような事が引っかかったみたいに残る事って」
「そうだね、あると思うよ」
「頭の中で、カラカラって音がするんだ」

コーヒーを口にしながら彼はそう言った。彼は僕が大学生の頃に、家庭教師のバイトで教えた子の一人だった。買い物の途中に偶然僕を見かけたらしく、久し振りですねと彼から声をかけてきた。

「多分、なんか調子に乗ってたんすかね。下り坂でチャリで思いっきりすっころんで。なんかすげぇ血がダラダラ出てくるんすよ。頭から」

僕は笑う。

「凄い血が出るくせに痛くないんだよな。頭って」
「そうそう。なんか自分はなんともないのに親とかは大騒ぎで。え?何うろたえてんの?みたいな」
「で、それから頭で音がするようになったって事?」
「そうなんすよ。たまに首を傾げた時とかね、カラカラカラッて」
「頭のネジが外れたんだよ」
「ひでぇよな、みんな同じ事言いやがる」

僕らは笑い合う。そして、少し迷ったようなそぶりをして彼は言った。

「俺、今難聴なんですよ。音が聞こえないんです」

僕は一瞬戸惑う。音が聞こえないってどういう事だ?

「あ、すいません。説明が悪いですよね。正確に言うと一部の音が聞こえないんです。今も病院行ってきたんすけど、例えば待合いで受付が俺の名前を呼ぶのは聞こえるのに、他人の名前を呼ぶのは聞こえないみたいに」
「僕が話しかける声は聞こえるけど、他のテーブルの会話はまったく聞こえないって事?今流れてる有線とかも」

彼は頷く。

「ほんと変な感じで、時間が止まった世界で会話してるみたいな感じなわけ。話しかけられた声はどんなに小声でも聞き取れるのに、それ以外は全く聞こえないんすから。TVも見れやしないですよ。医者も俺の言うこと信じねぇし」
「聴力計る機械の音は聞こえるの?TVはダメなのに?」
「機械どうこうは大した問題じゃないんすよ、多分。TVみたいに不特定多数の人に話しかけてるか、聴力検査みたいに俺だけに聞かせようとしてるかの違いっすね」
「それじゃ、学校とか大変だろ」
「そりゃそうですよ。授業の説明なんてさっぱり聞こえないし。でも、俺を当てるのは分かるんすよ。ほんと勘弁してくれって感じで」

本当にうんざりした様子で彼は言う。僕は笑う。

「だから医者もなんの役にも立たないんですよ。そりゃそうですよね、検査の音は全部しっかり聞こえるし、耳の構造には異常はないし。この間なんて、『君は行く病院を間違えてるんじゃないかね?』って言うわけ。人をキチガイ扱いすんのかよってぶん殴るとこだったよ」
「まぁ、ポジティブに考えたら静かな生活ができていいじゃないか。そりゃまったく不自由ないわけじゃないにせよ、僕みたいに深夜暴走族に起こされるみたいな事もないわけだ」
「そう言いますけどね」

彼は笑った後、不意に真面目な顔になる。そんなに長い付き合いがあったわけではないにせよ、その辺は全く変わっていない。ここからが、本当に彼が話したい事だ。僕は軽く息を呑む。

「俺も途中、そんな風に考えたんですよ。でもね、そういうわけにはいかなかったんです」
「どういう事?」
「完全に聞こえないわけじゃないんです。いや、99%ぐらいはさっき話した通りですよ。でも、何でか分からないけど時々聞こえるんです。風で揺れる木の音とか、水道から漏れる水滴の音とか。別に普通は聞こえない音がするわけじゃないんで、当たり前の事ですよ。他の奴が一緒にいたって聞こえる音です。でも話した通り俺には聞こえないはずの音ですよ。いつも聞こえるわけじゃない。次の水滴が聞こえない事だってしょっちゅうある。なんで聞こえるんだろう?」

僕はゆっくりと言葉を選んで言う。

「回復の兆候かも知れないよ」

彼は首を横に振る。

「残念だけどそれは違うんです。そうじゃない事は俺にも分かる。何なんだろう。何かを伝えようとしてるのかな」

暫くの間、二人して黙り込む。僕の耳には流れる有線のメロディや、他の人の会話が混じり合ったノイズのように流れ込んでくる。彼は完全な静寂の中で何を考え込んでいるのだろう?それとも今も何かの音が聞こえるのだろうか。彼は静かに呟く。

「まさかね……」

そして二人、同じタイミングでコーヒーを口に運んだ。それがこの会話を終わりにする合図だった。

別れ際に彼は言った。

「世界中にガソリンをまいて、火のついたハンカチをそっと落としたら静かになるかな」
「途中で捕まるのがオチだから止めとけよ」
「そしたらワイドショーが先生のとこまでインタビューにくるね。なんて答えるの?いつかやると思ってました?」
「僕のとこまでなんて来やしないよ」

彼は笑う。

「ちょっと、黙り込んで。寝ちゃってないよね」

彼女が言う。

「寝てないよ。君の話を聞いて、ちょっと色々思い出してただけさ」
「どんな話?聞かせてよ」

僕は携帯の時計を見る。

「終電までに終わらないぐらい長い話だよ。それにね」

彼女は僕の目を真っ直ぐ見たまま頷く。

「まだ、進行形なんだ。多分」

会計を済ませて店を出る。街灯の下で伸びをして彼女は言った。

「ねぇ、本当はあなた、私を酔わせてホテルにでも連れ込もうとしたんじゃないの」
「まさか。警戒しすぎだよ、それ」

彼女は笑う。

「一つ良いこと教えてあげようか」
「楽しみだね。どんな事?」
「家のお父さんさ。結構怖いよ」
「そろそろ、ジムにでも通わないとダメだな」

僕は笑う。

アパートの郵便受けから朝刊と夕刊を取り出し、出しっぱなしの布団の上に転がった。新聞を流し読みして思う。どうして僕は、そんな事件なんて起きないと言わなかったんだろう?今日の新聞にも大規模な放火を企んで捕まった少年のニュースなんてない。当たり前だ。 台所で酔いざましに顔を洗い、新聞の続きを読む。夕刊の社会面の小さな記事に、高知県の村でとても久し振りに焼き畑が行われたニュースがあった。農家の人が語る。伝統として昔から行われてきた焼き畑も、無計画な焼き畑批判の煽りを受けて実行する農家も減ってきました。だからこそ正しい手法を後世に伝えていかにゃならんのです。

水滴の音に驚き目が覚める。いつの間にか寝てしまった自分にうんざりし、蛇口を強く締めた。静寂の中では、なぜこんなにも小さな音が強く響くのだろう。僕はまた目を閉じる。そして、見たこともない今日行われたばかりの焼き畑の後の景色を思い浮かべる。暗闇に溶け込んだ焦げた大地の下で、生まれ変わろうとしている植物の息吹のことを思う。

本当の静寂の中では、その音も聞こえるだろうか?

僕は耳を澄ませる。
微かな音が聞こえる。
ただそれは違う。
残り火とも違う炎の揺らめきだ。
ずっと遠くで。あるいはもっと近くで。
聞こえるはずのない深く静かに揺らぐ炎の音を僕は聞いた。