サイトを作るにあたって、過去作の埃を払って、新しい場所に移す。 そんな作業の中で、とりあえず過去作を読み直すことをしている。 稚拙な表現を少し直したり、そのままにしたり、今後も時折そういう事を繰り返していくのだろう。
原則の話として、書いた文章に関してはそれが全てであって、後はどう解釈されようが自由だというスタンスを取っている。 だから後書きとかそういったものは好きではない。 それ以上に語るべき事なんて、何もないはずなのだ。
そんなわけで、これは作者の後書きというよりは、記憶の外側に置かれていた文章をわりと真っさらな気持ちで読んでみた感想文のようなものだ。
何かを書く時の事を考える。 本質的な商業作家を別にすれば、そこには外に吐き出したい何かがあり、その為の作業として書く。 その何かは大抵の場合は、そのまま出すと歪で強すぎる毒のようなものだ。 だから角を丸め形を整えたり、甘い味で何重にもコーティングをしたりして、それなりに人に出せるものにする。 野生生物の生肉を調理する料理人のように。
もっとシンプルに表現するなら、その何かというのは「伝えたかった事」と言ってもいい。
物語とは「伝えたかった事」の為に用意された舞台装置と配役だ。 多かれ少なかれ。 結果として「伝わった」かどうかは問題ではない。 ミスキャストのない舞台を仕上げる事ができたか。 それが重要だ。
どんな作者でも「書ける物語」があり、「書けない物語」があり、その中でも細分化され分類される。 Port Flipは分類するなら「書けなかった物語」だ。 少なくとも書かれた当時には。
形にはなっているかもしれない。 でも、もっと上手いやり方があったんじゃないか? そんな思いが浮かんでくる。 きっと自分の中で、消化不良の何かが残骸のように残っているのだろう。
同じ「伝えたかった事」が、別の物語になるのはよくある事だ。
いつか、Port Flipで「伝えたかった事」は、別の舞台装置と配役で別の物語になるのかもしれない。
その可能性の片鱗は、まだ消え去ってはいない。